あるライフイベントを前に思うこと。

1人ブレスト。

 やりたい事ってなんなんだろう。分からなくなってしまって、はや半年が過ぎた。
昨年まではよかったのだ。求められていることに応えようとする事で、その疑念を一時的に忘れることができた。その一時的を追われるように重ねて重ねた。
しかし今年に入り、少しずつ時間に余裕ができ、体力が回復し、将来を考え直し、結果スタート地点よりもはるかマイナスの地点まで戻ってしまった。ここはどこだ?

 弱みをみせて気を引くような甘える年齢でも立場でも無いことは重々承知している。
だれかもう決めてくれ。そしてその責任を押し付けてやる!

 しかし多分、これからの1-2年で本当の意味での大人、社会人になっていく。(いや、なりたいです。)
その中での選択肢は、もはや自分の一生を大きく左右するというか、今までのように迂回しても何とか取り返せる類のものでは無さそうだ。決めろ。決めろ。

 もがいてもがいてその結果周りの人を傷付け、信頼を失い、なけなしの諸々が消え、それらを自分の「まあ、もう、いいや」で消したこの1年だった。
…そういえば俺のエレキヴァイオリンはどこに行ってしまったんだろう。これは別件として探さねば。高校時代の自分に怒られる。

 オケって楽しいんだ。就職で結婚で転勤で終わらせないで、続けていればもっともっと楽しくなるから!今日より来週のほうがもっと楽しくなるから!
そうやって今まで散々多くの仲間たちに「先の不安を案ずるな、今のこの瞬間を全力で楽しめ!」と啓蒙していたのは他でもない自分自身だったではないか。
(それは本当だ、ただし理想論なのか?机上の空論なのか?自分の身をもってのある種人体実験?社会実験?だとすら思う)
路頭に迷わせた何人かの未来を、明るい未来に就職させる。その自信は日々なくなってきている。ISPで実現させなければと焦る。
ここに来て、明日の来月の来年の自分のために守る選択肢をとってどうするつもりだ?
しかもあれだ、その選択肢はただの怠惰の塊ではないか。ディーフェンス、ディーフェンスの大合唱ではないか。

 自分の気力や体力は確実に消耗が始まっている。と思う。
気力の消耗は著しい。今までよくもまああれだけ詰め詰めスケジュールをやれていたものだ、と遠い昔のように感じてしまうがほんの1年前の自分の姿である。
これは新たな出会いや試みや(はたまた交際か?)、それらの何かでこまめに回復しなければ続かない所まで来ている。
あれだ、昨日やった格闘王への道みたいなもんだ。回復も計画的に。

 様々な思いが毎日ぐーるぐる。論理的思考はパッパラパー。
よくわからない(なんとも形容し難い)ストレスで、頭は前線が後退しそうだ。(大丈夫、今のところ何とか高いラインを保ち続けている。)

 散文とはよく言ったもので、ただまとまらない思考を書き続け、推敲し、それは自分を振り返る行為だ。

 中学時代にすみちゃん(こう呼んでいたが、副校長先生であった。元気だろうが、お元気だろうか?)に教わった考え方に、ジョハリの窓、という名前があったことを知った。
この考え方は自分の深いところで生きている。

 考えてみれば自分の執着なんて数年も経てばその多くは無くなる。
いつまで待っても来ぬ人と、死んだひととはおなじこと、なのだ。
(そしてそういう人ほど、自分の心の中で虚像として。たまーにふと脳裏に浮かび、2-3日後に気付いたらいなくなってたりする)

 さて、明日から激動な日々パート2が始まる。
落ち着きたいと口では言っておきながら、よりよい何かを求めてそこに身をぶん投げてしまうんだなあ…。
ワガママと向上心の間で迷ってもがいて七転八倒。最期に七転び八起きになれるか?

 

真善美。自主独立。
卬高。
桃李成蹊。

 これらの校訓が、自分を形成していくんだなあと思う26歳の冬。
暦の上では今日から春だけど。
まずは本当の暖かな春が来た時、笑えるように生きてみよう。